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大阪高等裁判所 昭和40年(う)1206号 判決 1967年7月27日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用中鑑定費用を除くその余の分は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、記録に編綴の神戸地方検察庁次席検事卜部節夫作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人金子新一作成の答弁書に記載のとおりであるから、いずれも、これを引用する。

論旨は、原判決の事実誤認をいい、本件公訴事実は、本件事故の原因は、石積擁壁の崩壊に基因するものであつて、その崩壊原因につき、擁壁背後に集まる表流水、浸透水が擁壁に及ぼす水圧、及び盛土が擁壁に及ぼす土圧を計算して、これに耐えうる厚さの堅固な石積擁壁建築の設計をすることはもとより、水圧の上昇を避けるため擁壁背後に十分な裏込め栗石を入れ、排水孔を多数設けるなどして、万全の排水措置を講じた設計をし、さらに施工にあたつては、その設計どおりの工事を忠実に履行し、もつて擁壁倒壊による危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、被告人は、擁壁背後に及ぼす水圧及び土圧の計算を十分にせず、控約三五センチメートルの積石をしたのみで十分な厚さの胴込めコンクリートを入れない不完全な設計をし、しかも施工にあたつては、右不完全な設計に加えて、擁壁背後に十分な裏込め栗石を入れず、孔の空いていない竹筒を排水孔として使用するなどの石積擁壁の構築上の不完全があり、本件石積擁壁の崩壊原因はその設計、施工の両面における不備欠陥に基因するから、責任者である被告人は業務上の過失責任を免れないというに対して、原判決は、本件崩壊原因について、崩壊直前の本件ゴルフ場コース面の状況は、被告人が本件コースを完工させて六甲開発株式会社に引き渡してのち、同会社において施工した右コースの嵩上げ工事により、「本件コースは低い方(北東側)では二メートル、高い方(南西側)では一メートル程度の盛土がなされ、さらに右盛土斜面の法肩から約一メートルの間隔をおいて、本件コース北東側の最低部に存するコース横断水路の近くまで、約四〇メートルにわたり、コース上を縦断する状態で高さ約二・五メートル、底部の巾が約四メートルに及ぶかまぼこ型状を呈した未整地土砂が、断続的に置かれており、未だ残土の整理もできていなかつたため、コース面は平坦化されず、崩壊現場付近と右横断水路の間における約一メートルの勾配が減殺されていたうえ、世継山切取斜面とコース面の間に設けられていた側溝も埋没して著しく雨水の排水作用を阻害していたし、右斜面よりも相当多量の雨水の流下があつたものと考えられるから、崩壊時コース面上には相当多量の水が貯留されるに至つたものと認定せざるを得ない。」としたうえ、「盛土斜面(コース法面)よりの浸透水より量的に多いと推測されるコース面平場よりの浸透水が、盛土部と地山部の境界線を急速に流下したうえ、本件崩壊現場のコンクリート擁壁背後に収斂して到達し、石積擁壁の崩壊を招いたもの」と認定し、コース面平場よりの浸透水が盛土部の境界線を急速に流下した理由としては、「本件コースの盛土は、世継山斜面を削り取つた土砂で必ずしも均一質の真砂に限らず、多量の自然石が混入していたものであるうえ、盛土前の山相は、雑木雑草の繁茂していた状態であるから、浸透度そのものも一定ではなく、また地肌の形状、雑木雑草の残滓などにより、いわゆる水道を形成することもあり得ることは経験則上推測され得るところであり、実験上の浸透理論をもつてしては本件における浸透水の速度を律することは出来ず、本件現場の土質のもつ浸透能力を超えた急速な浸透水の流下が行なわれたものである。」と認定し、「右六甲開発株式会社による嵩上げ工事がなされていなかつた昭和三五年八月当時において、本件崩壊時における降雨に優る雨量に見舞われながら崩壊しなかつた本件石積擁壁が、本件崩壊時における降雨によつて崩壊するに至つたという事実はこれを裏付けるものである。」とし、本件石積擁壁の設計及び施工については、「設計の際、右石積擁壁背後の土圧計算については、その飽水状態における土圧や水圧までも考慮し、これらを計算の基準にしていなかつたものであることは認められるが、被告人としては、本件コース面上には、前記のごとき勾配や右コース面と世継山切土斜面の間に排水溝を設けて、右コース面の表流水を前記横断水路に排水し、コース面の法肩から石積擁壁に至る急勾配の法面の表流水の一部しか盛土内に浸透しないように配慮して設計しているのであるから、右排水上の諸条件が後日変更され用をなさなくなる場合をも想定し、飽水状態における土圧や水圧を計算に入れてこれにも十分耐え得る程度の強度を持たせていなかつたという意味での脆弱性が本件石積擁壁にあつたとしても、ただちに被告人の手落ちであるとは言えない。」とし、施工については、「本件石積の裏側には上部から下部に至るにつれて厚さを増す相当量のコンクリートが充填され、かつ相当量の栗石が投入されていたと認められるのであるから、石積裏側のコンクリート(胴込コンクリート)や栗石に関する限り工事施工上特に問題視すべき程の手抜きがあつたものと断定できないが、石積擁壁の水抜孔の竹筒については、節の抜かれていないものが約五分の一存在したことが明らかであり、この点においては、工事施工上の手落ちがあり、石積擁壁の背後には空洞があつたのではないかとの疑がもたれる。」と認定したうえ、結局「工事施工上には、多少の瑕疵があつたことは、これを認め得るけれども、コース面の嵩上工事が、六甲開発株式会社によつて敢行されていなかつたならば、被告人の設計施工した本件の石積擁壁は、右施行上の多少の瑕疵にかかわらず優に本件の豪雨にも耐え、崩壊するに至らなかつたであろうと謂う合理的疑いを抱かざるを得ない。しかも、この嵩上工事は、本件石積擁壁の設計施工当時には何人も全く予想し得なかつたものである以上、仮りに右工事施工上の多少の瑕疵が崩壊に何等かの影響を及ぼしたとしても被告人に過失の責任を問うことはできない。」として、被告人に対し無罪の言い渡しをした。しかしながら、原判決は、経験則に反するか、あるいは審理不尽の結果、証拠の価値判断を誤り、ひいては重大なる事実を誤認するに至つたものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないと主張するのである。

よつて按ずるに、原審において取り調べたすべての証拠、特に原判決中「本件事故に至るまでのいきさつ」欄に掲記の証拠のほか、六甲開発株式会社とブルドーザー工事株式会社間の契約書、関口勇の司法警察員に対する昭和三六年七月一一日附供述調書及び当審において取り調べた証人関口勇、同河本勇、同西海福次、同塚本洋之、同秋山昇、同藤原正善に対する各尋問調書、当審における三回にわたる各検証調書の記載を総合すると、六甲開発株式会社(社長管谷一郎)は、神戸市葺合区葺合町山郡所在世継山(標高四二〇・九一九メートル、北側の仰角約四〇度)の斜面を切り開いて、そこに会員組織の神戸カントリークラブゴルフ場を造成するにあたつて、昭和三四年三月ころ、大阪市北区絹笠町堂ビル内、ブルドーザー工事株式会社(社長青木益次)に対し、その設計施工を請負わせ、右請負会社の一億四、八〇〇万円という見積を一億一、五〇〇万円に減額させて契約したこと、被告人は、昭和二九年二月ころから同三六年一月一一日ころまでブルドーザー工事株式会社に土木技師として勤務し、前記工事に際し、神戸カントリー・クラブ・ゴルフ場造成工事現場事務所長を命ぜられ、同三五年四月ころまで、右工事の設計並びに施工の監督等の業務に従事していたこと(その後は工務主任塚本洋之が交替)、本件の第三コースは、世継山北西側の斜面中腹を切り広げて造成したものであるが、現場は、脚下に市ケ原部落人家の屋根を望むような急斜面であり、かような場所を切り取つて盛土をし、ゴルフコースを造成すれば、降雨時に土砂が崩壊し人命に危険を及ぼすおそれのある個所であつたため、地元民の反対があり、被告人自身も賛成ではなかつたが、結局、他社との競争上引き受けることになり、コース面の長さを短縮し、かつ、高さを約二〇メートル下げ、排水路を新設し、えん堤を造り、盛土の安全度について専門家の諒解を得るなど万全の策をとるということで地元民を納得させ、被告人の設計により、同三四年一〇月ころから工事を開始したこと、現場は瀬戸内海国立公園内にあるため、厚生大臣の認可条件に示された治山治水工事の完全を期する目的をもつて兵庫県並びに神戸市の土木関係者をもつて技術懇話会が構成せられ、指導助言に当つたこと、被告人らは、翌三五年二月ころ右第三コースの工事を完成し、同年六月ころ全工事を竣工して六甲開発株式会社に引渡をしたこと、その当時における第三コースの状況は、全長三二〇メートル、標高約三〇〇メートルないし三二七・五六メートルの間を南西から北東にかけて帯状に切り広げ、地山部に盛土をして造成したもので、南西端標高約三一三・九六メートルの地山に打出し点(TEE)を設け、これを基点として二〇メートルごとに測点を設け、測点15、16の中間付近標高約三二七・一六メートルに終点(GREEN)を設け、右コース面平場の中央部で最も低地である測点7、8の中間を直角に横断する排水用の幹線水路(幅員平均約〇・八メートル、集水桝の標高約三〇〇メートル)を造り、第三コースの東半分に沿うて縦走西下する排水用幹線水路とともに、えん堤に集水流下させるようにしたこと、右横断排水溝から南西部に当るコース面平場の標高は、測点1において約三一〇・九三メートル、同2において約三〇七・九九メートル、同3において約三〇九・三三メートル、同4において約三〇五・一五メートル、同5において約三〇三・一五メートル、同6において約三〇一・六二メートル、同7において約三〇〇・五一メートルであり、コース面平場の始点である測点において高く、横断排水溝に向つて低くなり、その間約八七メートルには約九・三三メートルの高低差があり、なお、コース面平場は、法肩においてやや高く、その法肩から山際切土法(のり)面の法尻にかけて排水のためのゆるやかな逆勾配をつけ、右切土法面の法尻とコース面平場との接点に幅一メートル、深さ約五〇センチメートルの素堀りの側溝を設け、前記の横断排水溝に接続させていたこと、右横断排水溝の南西部すなわち、第三コースの西半分におけるコース面から下の斜面の状態は、世継山北西基底部の岩盤に達する直高六メートル、地表上の法面の長さ約四三メートル、勾配約四分(1:0.4)のコンクリート擁壁を構築し、その上に、同勾配をもつて、直高三メートル、法長約三・一メートルの練石積擁壁を築造し、その裏側に切り崩した土砂(真砂土)を入れ盛積工事をし、更に、右石積擁壁の上に続きコース面平場に至るまで約一割五分(1:1.5)の勾配をもつて、法長二〇メートルくらいにわたり地山部に前同様の真砂土を盛土し、二段の大走りをつけ、かや、野芝等による法面保護をし、右コンクリート擁壁には方形の排水孔、石積擁壁には竹筒の排水孔を、それぞれ約三平方メートルに一個所の割合で設け、擁壁裏側に貯溜する浸透水を排出するように築造したこと、六甲開発株式会社では、右造成工事の竣工引渡を受けたのち、第二コースから第三コースの打出し点に至る路離を短縮するため、右打出し点を再度にわたりその上方に変更したため、前記横断排水溝東北方測点9付近へ突出した山はだを切り取る必要を生じ、昭和三六年四月ころから二ケ月間にわたり、六甲開発株式会社が、独自の判断により直営工事をもつて斜面の切取りを行い、その土砂の処理と、第三コース上方から崩落する土砂の処理のために、第三コース面平場にその土砂を盛土して嵩上げし、コース中、前記横断排水溝のある最低部では約三メートル(排水溝の肩から継目までの法長約七〇三メートル、直高約三・五二メートル)南西側に当る高い部分では約一メートル、測点3(ここでは旧標高よりも逆に〇・四三メートル低くなつている)から右排水溝までの嵩上げ土量約五、八〇〇立方メートルに及ぶ盛土をし、事故直前には芝を張りつつあつた時で、ただ、ブルドーザーによる地ならし工事の残土が、右嵩上げ盛土の上に、法肩から約一メートルの間隔を置き、前記横断排水溝の近くまで約四〇メートルにわたり、かまぼこ型になつて断続的に置かれており、嵩上後の整理作業が未完成の状態であつたこと、かような状況のもとに、事故前夜の昭和三六年六月二五日午後七時ころから雨が降り続き、前夜七・二ミリメートル、事故当日は午前六時までに一三八・七ミリメートル、合計一四五・九ミリメートルに及ぶ多量の降雨(神戸海洋気象台長回答、記録六一二丁以下)があり、そのため同日午前六時三〇分ころ、第三コースの測点5から6に至る間において、石積擁壁の一部、上端約二〇メートル下端約九・一二メートルが、背後の盛土と共に逆梯形状になつて崩壊し、その下方にあつた吉成利春方家屋の一部を埋め、吉成孝子(当一二歳)をいわゆる生き埋めにして窒息死させたことを、それぞれ認めることができる。

そこで、本件石積擁壁の崩壊原因について判断する。まず、その原因が、原判決のいうように、土木工事の専門業者でない六甲開発株式会社が直営で第三コース面の嵩上げを行つたことにあるかどうかを検討する。第一に、第三コース面平場の排水状況をみると、<証拠>を総合するに、一夜の間に一四五・九ミリメートルに及ぶ集中豪雨が第三コースの測点3から同7に至る間の平場に表流水の形で流下集水する世継山切取側斜面の平面積は、約八、五〇〇平方メートルであるところ、右コースの地形は、前記認定のように、コース平場は、もともと、横断的にみて、法肩から世継山側に向つて排水のための逆勾配がつけられており、嵩上げ後においても同様であつた(原審証人田中茂供述、記録八三〇丁)から、世継山切土法面から落下してきた土砂の堆積によつて、前記世継山際切土法尻の側溝が埋没し、その効用を失つてもなお世継山側に向つて流れることになるのみならず、前記のように、嵩上げ後においても、なお、西南から東北に向い測点3から7までの間において、約四・四五メートルの高低差があつて、右測点7、同8の中間付近を横断する排水溝に向つて勾配となつて低くなつているのであるから、かりに前記横断面の逆勾配が効かなくなつたとしても、コース平場面上に降り、かつ流下して来た水は、かなりの幅をもつて縦に、前記低部にある横断排水溝に向つて流れることは自明の理であつて、右雨水がこの平場上を横切つて、法肩を溢流して、盛土斜面上を流下したものとは、とうてい考えられないし、また、それらの雨水が排水されないで平場に貯溜されたとも思われない。原判決は、未整理土砂が「盛土斜面の法肩から約一メートルの間隔をおいて横断水路の近くまで約四〇メートルにわたりコース上を縦断し高さ約二メートル五〇、底部の幅が約四メートルに及ぶかまぼこ型状を呈した相当量の土盛の状態で断続的に置かれていた」と認定しているが、六甲開発株式会社の使用人である証人河本勇は、原審において「事故直前コース平場の法肩から二メートルくらい離して縦に高に二〇センチメートルくらいの土を盛つておいた」旨、当審において「平場に盛土し、ブルドーザーで地均らしをし、芝生を張つた時、偶然に残して盛つてあつたもので、高さ約三〇センチメートル、幅はそんなに広くなかつた、それは、水を斜面に落さないためにわざわざ造つたものではなく、また、そのために平場に水溜りができたという関係はない」旨各供述しており、秋山昇作成の実況見分調書の記載並びに添附写真1(事故当日午後三時撮影)、同30、同31(各昭和三六年七月九日撮影)及び原審において弁護人の提出した弁検四号の写真(記録九三二丁)を見ても、事故直前の平場の状況は、地ならしをして芝が生育しつつあつた時で、法肩に高さ三、四〇センチメートルと思われる土まんじゆうが点々と並んでいるだけであつたことを看取することができるのであつて、原判決や、橋本、真門鑑定人の想定しているようにこれらの土盛が堤となつて、コース全面にわたり池のような大量の貯溜水ができたものとは、とうてい考えられない。以上の点につき原審証人河本勇は、原審公判廷において、「本件事故の当日は、午前三時ころから作業員をつれて第三コースの排水路確保に従事したのであるが、午前六時ころに雨が小降りになつてきたので、人夫四人とともに、その後崩壊した第三コースの上を歩いて自宅へ帰つたが、右コースの打出しから二〇メートルくらいの位置にある自宅に帰りついたときに崩壊が起つたのである。なお残りの人夫はえん堤の方から帰つた。右排水路確保に従事していた際には第三コースの横断水路からテイ側にかけては水はたまつていなかつた。当時コース上には水が横断水路側に流れるように勾配がついていたのである。ただし、世継山切取斜面の下の側溝は埋つていた。本件コース上を歩いて自宅へ帰る際には、盛土よりも内側を通つたが、水はたまつておらず、足首まで土砂がくる程度ぬかるむ状態であつた。コース上で水がたまつていたのは横断水路よりも北東側の低くなつている地点である。」旨供述し(記録一四六二丁以下)当審においても同趣旨の供述(ただし、水がたまつていたのは横断水路付近の前記測点7付近であつた旨訂正)をし、南波春雄は、司法警察職員に対して、「豪雨のあつた六月二六日午前一〇時ころ(崩壊後約三時間半経過後にあたる)現場に行つてみたが、コースの上を相当の水が流れた跡があり、また排水溝からは水が流出していてたまつている所はなかつた。コース南側の世継山切取斜面下部の素掘堀りの測溝は完全に埋つていたと思う。」旨供述し(記録一六三四丁ないし一六三五丁)ていることからみてもその裏付は十分である。以上に徴すると、原判決が「本件コース面の崩壊現場付近と右横断水路の間にあつた約一メートルの勾配が減殺されていたうえ、世継山切取斜面とコース面との間に存していた側溝も埋没し、これら雨水の排水作用に著しい障害となつていたし、右世継山切取斜面からも相当多量の雨水が流下したものと考えられるから、コース面上には崩壊当時多量の水が貯溜されるに至つたものと認定せざるを得ない。」とし、この多量の貯溜雨水を本件石積擁壁の崩壊原因に結びつけるのであるが、右は原審証人塚本洋之の第九回公判廷における「事故の日午後四時ないし五時ころ、現場へ行つた時、コース平場の法肩から約一メートルないし二メートルの所に高さ二尺ないし二メートル、幅三メートルないし四メートルのかまぼこ型土盛があり、中央は全部水がたまり、私の見た時はかなり引いたあとであつたが、盛土の中央から水が流れないように努力したあとがあつた」旨の供述(記録九八二丁以下)、原審証人橋本規明の「コース面上は、低い横断水路の方を厚く、高い方を薄く嵩上げしたため、逆勾配となり、そのうえに土砂を堤防のような形に置いたため、池のように水が貯溜され、水深二、三メートル以上もあつたと思われる」旨の供述(記録一二九六丁ないし一三〇九丁)及び原審証人真門直二の「平場に堤防ができたため、水の行き場がなくなり、真中の平場が池の状態になつて水たまりができていたと思われる」旨の供述(記録一一六九丁ないし一一七〇丁)などを根拠にしたものと思われるが、前掲塚本洋之は、当審において、「私が事故現場へ行つたのは、午前七、八時ころで、水たまりは、横断水路のつけもとを中心にして半径約一五メートルの扇形にあつた。私が崩れたあとを見た感じでは、平場上にたまつた水は直接影響していないと思う。」旨供述しており、水深二、三メートルに達する貯溜水があつたとは言つていない。それを右の鑑定人らが根拠として巨大な貯溜水を想定しその想定を基にして鑑定したものである。これは前記のように、本件現場の状況、特に勾配の存在及び当時コース面上の水は、コース縦断勾配にしたがつて横断排水溝に流れ込んでいた前提事実を誤つた鑑定であつて措信できない。これを根拠とする原判決の認定は、正当といえない。

第二に、降雨時における右第三コース平場の貯溜水、表流水が石積擁壁に及ぼす影響についてみると、前掲の証拠によれば、第三コース平場の貯溜水、表流水か。その構造上法面に流れる状態になつておれば、石積擁壁の崩壊に対して大きな影響を与えることは自明の理であるか、前記認定のように、本件崩壊箇所の上では、法肩から世継山に向つて逆勾配になつているのであるから、法面への流出はほとんでなかつたものであること、また嵩上げ竣工の締固めが悪く、そのため土の透水性が大きくなり表面に貯溜した水あるいは表流水が土中に浸透し擁壁近くまで速やかに到達するようであるならば、その影響も少くないのであるけれども、本件現場の土は、花崗岩が崩壊してできた真砂土であつて、その粒度及びコンシテンシー(密度)は、実験の結果、粒度は、礫(二・〇ミリメートル以上)二四パーセント、粗砂(二・〇ないし〇・二五ミリメートル)四八パーセント、細砂(〇・二五ないし〇・〇五ミリメートル)一六パーント、シルト(〇・〇五ないし〇・〇〇五ミリメートル)六パーセント、粘土(〇・〇〇五ミリメートル以下)六パーセントであり、コンシステンシーは、液性限界二八パーセント、塑性限界二七パーセント、塑性指数一パーセントであつて、その一秒間の透水係数は10−3/c/sec前後あつて、かりに透水係数を10−2/secとし、動水勾配(水圧を水の経路で割つたもので垂直のばあいは1、斜面のばあいは小)を最大値である1とすれば、二四時間(86,400秒)には、約10×86,400=864cであり、また10−3c/secとすると、同じく二四時間に約10−3×86,400=86.4c進むことになり、擁壁までにはかなりの距離があるから、コース平場の貯溜水が石積擁壁に到達するには相当の時間を要し、斜面下に空洞が連続していて管中の流れのようになつておれば格別であるけれども、そのような形跡を認めることができないから、本件降雨時における第三コース平場の貯溜水や表流水の影響は極めて少いことが認められる。したがつて、原判決が橋本鑑定人の鑑定結果を援用し「コース面平場よりの浸透水が盛土部と地山部の境界面を急速に流下したうえ、本件崩壊現場のコンクリート擁壁背後に収斂して到達して石積擁壁の崩壊を招いたもの」と認定し、コース面平場よりの浸透水が盛土部と地山部の境界線を急速に流下した理由として「本件コースの盛土は世継山斜面を削り取つた土砂で、必ずしも均一質の真砂に限らず、多量の自然石が混入していたものであるうえ、盛土前の山相は、雑木、雑草の繁茂していた状態であるから、浸透度そのものも一定でなく、また地肌の形成、雑木雑草の残滓などにより、いわゆる水道を形成することもあり得ることは、経験則上推測され得るところであり、実験上の浸透理論をもつてしては、本件における浸透水の速度を律することはできず、本件現場のもつ浸透能力を超えた急速な浸透水の流下が行われたものである。」と認定するのであるけれども、地肌の形状、雑木雑草の残滓などにより、いわゆる水道を形成することもあり得るということは、単なる推測の域を出ないものである。したがつて、本件コース平場の盛土は、単に法面が長くなつただけ降雨を受ける面積が広くなつたというだけであつて、本件崩壊に大きな影響を与えたということはできない。

第三に、第三コース中、横断排水溝以西の斜面における雨水の影響について考えると、斜面部の面積はかなり広く、集中豪雨により、この斜面上に降つた多量の雨水が、この斜面の下手で収斂されるのであつて、この斜面の法勾配が、一割五分という急勾配で、しかも法長が約二〇メートルもあるから、石積擁壁及びコンクリート擁壁の下部に多量の表流水や表流水の浸透したものが流下したものであろうことは容易に考えられる。そしてまた、本件現場の盛土部の土は、地山部の土に比較し締固めの関係からみて、その透水係数は地山部のそれに比しかなり大きい値が出ることは自明の理であるから、盛土が地表に露出しているところから、この内部へ浸透した水は下方の地山との境界面上に貯溜せられたような形をとつたことも容易に考えられるところである。そして表流水は、法面を浸食して溝をつくり、この溝に水が集中して法面を荒らし、土中に浸透する水が増加するのみならず、また溝ができない場合においても流下しながら土中に浸透するから浸透水の供給源とすることは、経験則から見て明らかである。浸透して土中に入つた水は、擁壁に対しては、擁壁背後に貯溜して擁壁に水圧を与え、背後の土の重量を重くし、また、土の粘着力、内部摩擦角を減少させて擁壁に作用する土圧を大きくし、なお、後の土の重量を重くし、土の粘着力、内部摩擦角を小さくすることによつて、土の剪断抵抗力を減少させ、法面に円孤すべり、あるいは層状すべりを引き起しやすくするのみならず、擁壁背後の土砂を流出し空洞をつくつて擁壁を弱めるとともに、水の浸透を容易にするから、表流水、浸透水は本件の擁壁及び法面の崩壊に大きな影響を及ぼしているものといわなければならない。ついでに、本件第三コースの竣工引渡後における約一メートルないし三メートルの盛土嵩上げ工事が石積擁壁に作用する土圧にどのような影響を与えたかについてみると、平均約二メートルの嵩上げによつて、その斜面上を表流する雨水の表流面積は、二一%増加することは、前掲田中鑑定書によつて明らかであるが、斜面下方への浸透面積も盛土部についてみれば増加し、嵩上げしなかつた場合よりは、若干石積の崩壊に影響を与えたであろうことは自明の理であるけれども、法面の長さから考え、平均約二メートルの嵩上げがあつたからといつて、特に大きな影響を及ぼしたものとは考えられない。以上説示のように、第三コースの工事竣工引渡後における六甲開発株式会社の直営による嵩上げ工事は、本件の崩壊事故に関し、幾分の影響はあつたにしても、その主要な原因でないことが明らかである。

次に、本件擁壁並びに法面工事の設計及び施工の関係について検討する。第一に、設計について、本件コース西北側斜面の法面工事をみるに、現場の土砂は、真砂土であつて、強雨にあえば崩壊の危険性がある点から考えると、名神高速道路工事においても、盛土の法勾配は、粒度のよい砂の場合、盛土高五メートルで一割五分、五メートルないし一〇メートルで一割八分、一〇メートルないし一五メートルで二割の法勾配を基準としているところからみても、本件の場合、約二〇メートルに及ぶ法高を有し、しかも真砂土であるのであるから、少くとも二割の法勾配が必要であり、特に崩壊危険度の高い場所においては崩壊防止のため特別の措置をとらなければならないにもかかわらず、従来慣習的に行われていた一割五分の法勾配を無批判的に採用している点において設計上不完全であるといわなければならない。次に、石積擁壁について、田中茂作成の鑑定書添附の図面によれば、その設計は控え約三五センチメートルの練石積であつて、石積に胴込めコンクリートを注入して固め、その背後に幅約三五センチメートルの裏込栗石を投入して固めることになつていたのであるが、それが現地の状況に適応するかどうかについて、前掲塚本洋之は検察官に対し、「今度の豪雨でその擁壁が崩れた原因は、私が土圧計算の際、水を含んだ時の計算をしていなかつたことにあると思う。現場の土質は含水率の極めてよいものであることを計算に入れていなかつたことが原因であると思う。これらを考慮に入れていたら、水圧のかかることがわかり、もつとがんじような工事をしていたと思う」旨供述し(検察官に対する供述調書記録五五七丁、五五八丁)、被告人は、検察官に対し、「もつと石の控えを長くし、土圧や水圧にたえ得るだけの堅固な擁壁を設計すべきであつたが、当時は、私の設計で十分だと思つた。土圧や水圧の計算については非常にむつかしいので正直なところ、これらはしていなかつた。」旨供述し(検察官に対する昭和三七年一二月六日附供述調書記録一四四〇丁、一四四一丁)ていることに徴し、被告人は、本件石積擁壁の設計の際、石積擁壁背後の水圧や土圧について、十分な計算をせず、その飽水状態における土圧や水圧を考慮していなかつたことが明らかであり、本件現場の地形についても、被告人は、当初から、第三コースの設置にあたつて世継山西北部を切り取ることは、大雨の際危険であるので工事をしない方がよいと意見を述べているのであつて(泉光秋の検察官に対する供述調書記録一三三丁)、その危険性は十分認識しているところであり、更に土砂の状況、急勾配の法面などから考えると、このような危険を感ずる場所においては、土圧、水圧を十分考慮して擁壁並びに法面工事の設計をすることは、土木工学上当然であるにもかかわらず、これを軽視した点において設計上瑕疵があつたといわなければならない。この点について、橋本鑑定人も「計算結果からみれば、石積擁壁断面としては決して十分なものではない」旨、真門鑑定人も「裏込岩片をもつと増加すべき旨」各鑑定書において述べている。原判決は「本件コース面上には前記の如き勾配や右コース面と世継山切土斜面の間に排水溝を設けて右コース面の表流水を前記横断水路に排水し、コース面の法肩から石積擁壁に至る急勾配の法面の表流水の一部しか盛土内に浸透しないように配慮設計しているものであるから、土圧、水圧を計算に入れていなかつたため右擁壁の脆弱性が本件石積擁壁にあつたとしても、被告人の手落ちではない。」と判示するのであるけれども、なるほど、コース平場上の表流水や浸透水については配慮して設計されていても、法面並びに石積の関係において、前記諸条件を考慮すると、土圧、水圧の計算の上に立つて、堅固な擁壁を作ることが必要であるといわなければならないから、被告人において、現地の状況に適応するような設計をしなかつたことは、工事の最終責任者である被告人の責に帰すべき設計上の瑕疵であるといわなければならない。第二に、施工について、被告人が現場責任者としてこれにあたつたのであるが、石積擁壁の設計は、ただでさえ不十分であるうえに、前記司法警察職員作成の昭和三六年七月九日附実況見分調書によれば、「崩壊現場において、石垣の残つた部分の断面を見るに、崩壊現場の西側は石垣石(表面三〇センチメートル平方、高さ約三五センチメートル前後の錘形)の裏に込み石が入れてあり、その付近に土砂に混つた栗石が見受けられ、その栗石は四〇ないし五〇立方糎(耗の誤記と認められる)くらいの石であり、崩壊現場の東側は、石積石は右と同じであるが裏側の栗石は高さ約三メートルの間に四〇立方糎(耗の誤記と認められる)くらいの石が二、三箇しかなく、また崩壊した石積の石は結着しているものは極少数で、ほとんどが、一箇ずつとなつてバラバラでコンクリートによる凝結度が低いように見受けられた。」旨の記載(記録五二丁以下)があつて、胴込コンクリートが不完全であつたことが明らかである。そして、栗石について、右の記載のほかに、証人秋山昇は、原審において、右実況見分調書の記載と同趣旨の供述をし(記録一五三丁)、なお、当審において、「本件事故の後、崩壊場所の南端から八メートルくらいの所と、北端から六メートルくらいの所で、石積擁壁の背後を掘つて見たところ、いずれも空洞があつた。その空洞の大きさは、横に長さ一メートル近くあつて、幅は広いのや狭いのがあつて、三〇センチメートルくらいであつた。その故に事故後セメントミルク(グラウチングのこと)を擁壁の補強のために注入したが、ミルクのあるところは、空洞のあつたあとであると思う。」旨供述し、当審における証人河本勇は、「問題の石垣の崩壊してない箇所を警察官が二個所堀つたと思うが、一個所は確かに空洞があつた。芝生を除いて、スコップで、一、二回土を堀り上げると、あとは約三〇センチメートルくらいの空洞があり、栗石もなかつた所が一箇所あつた。(中略)それで石積擁壁を補強する意味で、本件事故後、石積全部にわたつてモルタルコンクリートを圧搾空気で石積の裏側に注入した。」旨供述し、当審証人西海福次は、「本件事故後、秋山刑事課長の命令で、石積擁壁の栗石の状況を見るために、鑑識課写真班の大川と一緒に来て、本件石積擁壁の直ぐ背後を、崩壊箇所の東側に二箇所、西側に一箇所、合計三箇所堀つたが、石垣の裏をスコップで二、三回突くと、上が芝生で、芝生をあげるとずつと洞穴の状態であつた。栗石はなかつた状態でスコップで堀るとポコッと穴があいていた。」旨供述しており、これに原審証人大川種朗の「昭和三六年八月八日、西海刑事と一緒に現場へ行き、人夫二、三人を使つて崩壊した石垣の東側二個所と西側一個所を堀つて写真をうつした。いずれも空洞があり、栗石は少なく、一個又は二、三個出てきた所もあつた。」旨の供述及び同人撮影の写真八葉(記録一〇一五丁ないし一〇一八丁)、原審証人水島博の証言(記録二〇六丁)竝びに昭和三六年七月九日附司法巡査水島博撮影の写真二葉(記録六二四丁)を加え、なお、当審における昭和四一年四月一八日の検証において、本件石積擁壁背後の栗石の状況を検査するため、崩壊個所の西南側一個所、東北側二個所計三個所に深さ一・二メートルないし一・七メートルの穴を堀つて調査し、かつ、同年八月一一日の検証において、崩壊個所から東北側へ二・五九メートルの所の石積擁壁を破壊して見分した結果により、いずれも、石積擁壁の胴込コンクリートの入れ方が薄く、かつ、不規則であつて、栗石は、いわゆる玉石ではなく、地山から出て来た自然石を使用したもので、しかも、それが小量であつて空洞が所々に発見され、設計に示された三五センチメートルの幅に充填されておらず、かつ盛積工事の締固めも十分に行われていなかつたと認められたことに徴して、本件石積擁壁の施工について、石積の裏に胴込コンクリートを十分に入れ、一体となつて働くようにしておくべきであるにかかわらず、胴込コンクリートが不完全であつて、石積そのものがぜい弱であつたのみならず、擁壁背後の栗石は、地山から出て来た自然石を使用し、しかもこれが小量であつて、設計どおりに投入されておらず、かつ、盛積の地固めも十分に行われていないため、所所に空洞を発生させ、擁壁背後に浸透水を貯溜させ擁壁に水圧を加える原因を作つたうえ、本件石積擁壁には、三平方メートルに一箇所の割合で水抜きがあるのであるが、司法警察職員作成の昭和三七年三月二四日附実況見分調書(記録六一四丁)及び同三八年九月一四日附原審検証調書(記録六六五丁)によれば、右水抜きには竹筒が用いられているが、その約五分の一は竹筒の節が抜かれないまま使用され、これに土砂、コンクリートなどが詰つているものを加えると、排水孔の用をなさなくなつているものが約半数に及ぶことが認められる。以上の事実に徴すると、被告人らの工事に重大な手抜きがあつたものといわなければならない。これを原判決が「本件石積の裏側には、上部から下部に至るにつれて厚さを増す相当量のコンクリートが充填され、かつ、相当量の栗石が投入されていたと認められるのであるから、石積裏側の胴込コンクリートや栗石に関する限り、工事施工上、特に問題視すべき程の手抜きがあつたと断定しがたい。」と判示するのは、証拠の価値判断を誤つた認定であるといわなければならない。土木工学的には、栗石が擁壁の背後にかなりの厚さで入つている時には、栗石の層の透水係数は盛土や地山部の土のそれに比べて相当大きな値を有しており、しかも、この層から十分な断面積と数とをもつ水抜孔が壁体の外部へ通じている時には、この栗石の層が集水、水抜孔が排水の各役割を果し、その結果、自由水面が、この栗石層のところで急に大きく低下し、壁体にかかる水圧が小さくてすむわけであるが、壁体に水抜孔があつても裏面に栗石層が無い時には、水抜孔だけでは到底集排水の効果を期待し得ないところであつて、栗石と水抜孔は両者が相まつて後排水の大きな効果を果すものである。裏込栗石層が無い場合、あるいは不十分な場合は、擁壁の背後には、大きな水深で浸透水がせき上げられたかつこうとなるために、壁体に水圧がかかり、かつ土圧を加重し、このために壁体が崩壊する危険が生ずるのである。しかも石積背後に空洞があると、更に速やかに水が貯溜し、壁体に水圧を加えるものであるから、本件崩壊の原因は、結局、石積擁壁の胴込めコンクリートが不十分であるうえに、栗石が不十分であり、しかも水抜孔に使用した竹筒の半数以上が節を抜いていないものを使用し、または土砂及びコンクリートなどで詰つていてその用をなさなかつたために、法面からの浸透水が壁面に収斂し、その排水ができないために壁体に水圧並びに土圧がかかり、本件擁壁の崩壊及びその背後の盛土の崩壊を招いたものといわなければならない。原判決が「施工上に多少の瑕疵があつても、施工当時予期しない引渡し完了後の六甲開発株式会社によるコース面の盛土工事に基因する土圧によるものである。」と判示するのであるけれども、前記認定のように、本件嵩上げ工事の水圧竝びに土圧に及ぼす影響は、コース平場においても、また法面においても、極めて少ないことが明らかである。なお、原判決は、橋本鑑定人の意見を援用し、昭和三五年八月中二回にわたり、本件当時と同程度の降雨があつたにかかわらず崩壊しなかつたことを根拠として、本件石積の崩壊原因は引渡後の嵩上げにあることの理由としているけれども、本件崩壊原因の一つである空洞は、初めから存在していたものではなく、締固め不十分のため、土石の沈下により発生し、かつ、拡大していつたものと思われる(当審内田証人の供述)し、石積自体も次第にそのぜい弱性を暴露していつたものと思われるのみならず、降雨の性質にもよる(昭和四一年一月一〇日附田中鑑定書)のであるから、雨量のみによる比較論は採用しがたい。要するに本件の主たる崩壊原因は、設計において瑕疵があり、施工において手抜きがあつたことに存することは前記のとおりであるから、原判決の判断は正当でない。

そこで被告人の過失の有無について考察すると、およそ、土木建築業者が、ふもとに人家のある山の中腹を切り広げゴルフコースを造成するため、山すそにコンクリート擁壁、その上に石積擁壁を築造し、それに接続して盛土をして法長約二〇メートルの斜面を形成するばあいには、現地の状況に適応するように特段の注意を払い、斜面の法勾配をできるだけゆるやかにするほか、降雨時における表流水の影響及び浸透水の擁壁に及ぼす水圧並びに土圧を計算し、これに耐えうるように、石積擁壁を堅固にし、その背後に十分な裏込栗石を投入して透水層を設け、多数の排水孔によつて排水措置を講ずる設計をし、その施工にあたつては、設計どおりの工事を忠実に履行し、もつて擁壁倒壊による危険の発生を防止すべき業務上の注意義務があるところ、被告人は、本件現場の地形から、降雨の際には表流水及び浸透水の影響による山崩れのため第三コース直下にある市ケ原部落の人家に危険を及ぼすおそれのあることを認識しながら、本件第三コース及びその擁壁の設計ならびに施工に当つたものであつて、右のような危険を伴う特殊な現場であるから、その設計及び施工を慎重にすべきであるにかかわらず、前記認定のように、本件特殊な地形に対して特段の考慮を払わす、擁壁背後の法面工事についても、漫然慣例にしたがい、一割五分の法勾配の設計をし、擁壁背後に及ぼす降雨時の水圧や土圧の計算を十分せず、設計自体において、控え約三五センチメートルの石積の裏に充填する胴込めコンクリートの厚さが不十分であつて、現地の状況に適応する設計をしていなかつたのみならず、施工にあたつては、右胴込めコンクリートの入れ方が薄く、かつ、不規則であり、擁壁背後に裏込栗石を投入するに当つては地山の自然石を使用し、しかも、それが小量であつて、十分な充填をせず、更に、擁壁背後の盛積の締固めが不十分であつたため、所所に空洞を生じさせ、また、擁壁に設けられた排水孔の約五分の一に及んで節の抜いてない竹筒を使用し排水孔としての用をなさないものを施設して、完全な排水措置を講じないで、石積擁壁を築造したために、右盛土上に降つた雨水が浸透水となつて擁壁背後にたまり、水圧並びに土圧が上昇したため、右石積擁壁の一部が背後の土砂と共に崩壊し、本件事故を引き起すに至らせたものであるから、本件崩壊事故の主要な原因は、右設計及び施工上の瑕疵によるものであつて、結局、最終責任者である被告人の過失に基因するものと断じなければならない。したがつて、原判決が「本件設計施工当時何人も予想しなかつた本件コースの引渡完了後になされた六甲開発株式会社によるコース平場の盛土工事による土圧に基因するものであるから被告人に過失の責任を負わせることはできない」旨判示するのであるけれども、前記理由によりたやすく肯認することはでき難い。しかしながら、本件第三コースの造成現場は、前記のように特殊な危険性の多い場所であつて、コース造成に適しないところであるにかかわらず、無謀にも造成工事をさせたのみならず、総工費一億四、八〇〇万円の予算を一億一、五〇〇万円に値引きして請負わせ、更に工事完了引渡を受けた後、コース平場に約一メートルないし約三メートルに及ぶ嵩上げ工事をした六甲開発株式会社においても一半の責任があると考えられるから、被告人の過失責任は比較的に軽いものといわなければならない。以上の次第で、本件事故につき被告人に過失の責任があるから、被告人に責むべき過失はないとして無罪を言い渡した原判決には、事実の誤認があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、とうてい破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により、原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和二九年二月ころから昭和三六年一月一一日ころまで、大阪市北区絹笠町五〇番地所在のブルドーザー工事株式会社に土木技師として勤務していたものであるが、昭和三四年三月ころ、同会社が六甲開発株式会社から請負つた同会社所有の神戸市葺合区葺合町山郡所在の世継山(約五万坪)を神戸カントリークラブゴルフ場に造成する工事の施工に際し、右ブルドーザー工事株式会社カントリークラブ・ゴルフ場造成工事現場事務所長を命ぜられ、そのころから昭和三五年四月ころまで、同現場事務所長として同ゴルフ場造成工事の測量、設計、現場監督等の業務に従事していたものであるところ、昭和三四年一〇月ころ、世継山北西側中腹の斜面を切り広げ、その下に盛土をして第三コースを造成するにあたり、山すそに、それぞれ四分(1:0.4)の勾配をもつて、高さ六メートル(地表上の法長約四・三メートル)のコンクリート擁壁を、その上部へ高さ三メートル(法長約三・一メートル)の土留石積擁壁を各築造し、更にそれに接続し、一割五分(1:1.5)の勾配をもつて盛土をして法長約二〇メートルに及ぶ斜面を形成する設計をし、その設計に基いて右築造工事の施工に着手し、昭和三五年二月ころ、これを完成し、同年六月全工事竣工により施主六甲開発株式会社に引き渡したものであるが、世継山北西側斜面を切り広げ盛土をし、その下へ石積擁壁を築造するにおいては、降雨量多量の場合は、斜面及び盛土に降つた雨水が表流水、浸透水となつて、石積擁壁背後の盛土部へ集中し、擁壁に水圧並びに土圧を及ぼし、そのため擁壁が背後の盛土と共に崩壊する虞れがあり、右擁壁下方には、市ケ原部落があつて、吉成利春方外数戸の人家があり、右崩壊の場合には、これら人家の居住者の生命、身体に危害を及ぼす危険があつたので、このような地域における石積擁壁築造工事の施行者としては、現地の状況に適応するように特段の注意を払い、斜面の法勾配をできるだけゆるやかにするほか、降雨時における表流水の影響及び浸透水の擁壁に及ぼす水圧並びに土圧を計算してこれに耐えうるように石積擁壁を堅固にし、その背後に十分な裏込栗石を投入して透水層を設け、多数の排水孔によつて排水措置を講ずる設計をし、さらに施工にあたつては、設計どおりの工事を忠実に履行し、もつて、擁壁倒壊による危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにかかわらず、本件現場の特殊な地形に対して慎重な考慮を払わす、擁壁背後に及ぼす水圧並びに水圧の計算を十分にせず、設計自体において、控え約三五センチメートルの石積の裏に充填する胴込コンクリートの厚さが不十分であつて、現地の状況に適する設計をしていなかつたのみならず、しかも、施工にあたつては、右胴込コンクリートの入れ方が薄く、かつ、不規則であり、擁壁背後に裏込栗石を十分に入れず、かつ、擁壁背後の盛積の締固めが不十分であつたため、所所に空洞を生じさせ、穴のあいていない竹筒を排水孔として使用するなど、排水措置を十分に講じないままで漫然と盛土をして石積擁壁を築造した過失により、昭和三六年六月二五日午後七時から降り始め、同二六日午前零時ころから午前六時ころまでの間の雨量一三八・七ミリメートルに達する豪雨のため同日午前六時三〇分ころ、右盛土上に降つた雨水が浸透水となつて擁壁背後に貯溜されて水圧並びに土圧が上昇したため、右石積擁壁の一部が背後の土砂と共に崩壊してその下方にあつた同所山都一番地の一、吉成利春方家屋の一部を倒壊させ、よつて即時吉成孝子(当一二年)を土砂埋没に基因する全身圧迫により窒息死させたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

法律に照すと、被告人の判示行為は刑法第二一一条、罰金等臨時措置法第三条に該当するところ、前記の情状により罰金刑を選択し、罰金不完納の場合の労役場留置につき刑法第一八条、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文をそれぞれ適用して、主文第二項ないし第四項のとおり判決する。(山崎 薫 竹沢喜代治 大政正一)

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